キンジェー中に友人と会っておすすめされたオ・エオのハニー&レモン。通常はナムデーンというイチゴ風な赤いシロップがかけられたかき氷ですが、これは生のレモンとライチが入っていました。さっぱりとした甘みが涼しさを呼びます。
場所はオールドタウンにあるクラビ通りのタイフア博物館のとなりのカフェイン。アイス・カプチーノもおいしかったです。オエ・オは1個55バーツ。
キンジェー中に友人と会っておすすめされたオ・エオのハニー&レモン。通常はナムデーンというイチゴ風な赤いシロップがかけられたかき氷ですが、これは生のレモンとライチが入っていました。さっぱりとした甘みが涼しさを呼びます。
場所はオールドタウンにあるクラビ通りのタイフア博物館のとなりのカフェイン。アイス・カプチーノもおいしかったです。オエ・オは1個55バーツ。
九皇大帝はサパンヒンの海から天上へと帰っていきます。他の中国寺の神輿やマーソンのサパンヒンへの行列はすでにスタートしているため、遠くの方で爆竹の放つ白い閃光や音も。
この神輿あ出発するときの並々ならない爆竹の数に、今回は何度なく神秘のようなものを感じ、惹かれたのでした。
10月21日、23時9分。最終日といわれる夜には、空高く立てた竿の先に降りていた玉皇大帝が天に帰る儀式。竿の下の祭壇でお経が30分以上唱えられます。その間、信者は座って手を合わせてお祈りします。信者と50人は軽く超えるマーソンでぎっしりのチュイトゥイ。お経が終わると寺の中に置かれていた玉皇大帝の紙の祭壇が燃やされます。その炎とともに天に昇っていくのだそう。大きな炎があがり、爆竹が鳴らされます。こんな人でいっぱいになった境内で炎があがることは、日本では考えられないですよね。
しかし、その炎には神様が昇って行くにふさわしい力強さが感じられました。
このお経を上げている最中に私たちの後ろにいたタイ人の女の子に、なにか入ってしまったようでした。息が荒く、完全にマーソンと同じようになってしまいましたが、なにしろ式の途中。回りの人に支えられて、式が終わる頃には少し落ち着いた感じでしたが、その後どうしたのかはわかりません。
キンジェーも大詰め。今日はカトゥのストリートプロセッション。朝6時30分にカトゥの寺に向かうと、すでにお付きを連れたマーソンが、タウンに向かっての行進を始めていた。まだ、日の光もうっすらとして、朝の水々しい空気が流れている。道の真ん中には所々で香木が焚かれていた。
カトゥの寺のそばは古い民家が多く、昔ながらの造りで立派な祭壇が玄関から真正面に配置されている。
赤い棒は爆竹。家の前に信者たちはTOKUIと呼ばれる中国風の刺繍を施したテーブルエプロンを準備して、そこにロウソク、線香、フルーツ、お菓子、花、お茶を祝福を受けるためにお供えする。
とにかく、寺に行ってみようということになり、寺へ。そこで見たのは九皇大帝を神輿にのせようとしているところだった。
なんと、神輿が祭壇入口のところに刺さっていた!
初めてこんな光景を見た。その時の空気はとても表現しがたく、なにしろ、鳥肌が立つような思いだった。
祭壇側はどうなっているのだろう?そちら側ではやはり九皇大帝のシンボルでもある傘が神輿のそばに来ていて、セレモニーマスターたちが跪いて儀式が執り行われていた。
神輿に九皇大帝が乗ったようです。
サパンヒンまでの長い道のりが続く行進に出発です。九皇大帝は夥しい爆竹を浴びて送り出されます。
行進が過ぎ去った後は獅子舞が各家に。道は赤い爆竹の燃え殻で絨毯のようになっていました。
10月19日、チュイトゥイの最大規模のストリートプロセッションが行われた。ルートもオールドプーケットエリアをめぐり、そしてサパンヒンというルートなので、タウンらしい情緒ある風景に、すさまじい爆竹と強烈なマーソンの姿に興奮したり、目を覆いたくなったりと、大忙しだった。
まずはオールドプーケットエリアの代表タラン通りで。
銀行街のパンガー通り。カシコン銀行そばです。
今日は火渡りを見に行った。火渡りといえば、タールア、タランのヒロイン像そばにある大きな寺だ。タールアは歴史的にも古い寺で、カトゥ、チュイトゥイ、バーニャオ、そしてタールアがキンジェーの代表的な寺といわれている。
すでに寺の広場で大きな火の山が燃え盛っていた。その大きさにびっくりした。
火は時々、長い板でならされ、段々平らになっていった。その熱さは相当なもので、待っている間、持っていたカメラまで熱くなった。
マーソンも多勢出てきました。一般の人にもやりたい人はどうぞと呼びかけていました。
O
8時開始とガイドブックにあったが、実際始まったのは9時過ぎ。じっと待っている間、この火渡りのための準備がどれだけ、熱くて大変なことなのか実感した。
この儀式は午後3時ぐらいに行われます。天上にいる戦士の霊とその馬に敬意を払ってお供えされます。キンジェーでは様々なランクの霊が降りていますが、それは神の下であり、ゴーストより上と位置付けられているようです。お供えされるのはベジタリアンフード、お茶、米酒、草は戦士の馬のためにお供えされます。キンジェー中、各寺で度々行われる儀式です。
お供えものの上で御札が燃やされました。
寺の外にある祭壇前でまた儀式。
寺の横からトントンなにか音がすると思ったら、そこは巨大キッチン。振る舞いご飯を作っていました。その横ではすでに振る舞いのご飯が配られていました。みんなお弁当箱などを持参しています。
私もどこから来たのかと尋ねられ、フリーだから食べていけと勧められました。
10月15日、サパムではマーソンのストリートプロセッション【Yiao Keng】がありました。サパムはロータス本店から空港方面に向かい、突き当たったT字路をタウン方向に少し行ったところにある中国寺です。小さな寺ですが、装飾もきれいな寺で、小さいので、儀式の一部始終が一般の人にもよく見られのもいいところ。朝6時30分ごろに到着しました。
手前は九皇大帝をのせる神輿。とてもきれいです。
到着早々にすでに神様が下りてトランス状態にはいっているマーソンは、この金串を刺していました。
若い彼はナタという少年神の出で立ち。ナタが降りる前に撮影。
ナタが降りた後。
すごく若いマーソンも目につきました。このヘアスタイルと持っているもので彼がナタであるとわかります。ナタは道教では人気の神様だそうです。下の写真がナタです。
この人は観音様が降りています。
彼は西遊記のサルじゃないかと思いましたが、はっきりはわかりません。
神様を降ろした後、様々なものを刺してそして行進に出発です。
腰にたくさんの旗を刺したマーソンが仕切り役。何か発するものがあります。
九皇大帝を神輿にのせるとされるときは、皆必ず座らなければなりません。カメラもみんな!そして九皇大帝を神輿にのせて出発!
彼女はトムぽい感じでしたがかわいらしい。ナタのマーソンのお付きのようでした。
彼はものすごく太ったオカマのマーソンのお付き。マーソンもその介添えをするひとたちも様々です。
この儀式はキンジェーの中でもっとも有名なもので、催す日程は寺により違います。このあと、サパンヒンに向けて行進がされますが、タウンの中に入ると道々にお迎え用のテーブルがセッティングされ、信者はマーソンを通して神様からの恩恵を受けるとされています。
九皇大帝の神輿が通るときは爆竹で歓迎するのが習わしなため、夥しい爆竹が信者により投げられます。
15日の夕方からカトゥでは生を司るLan Tao、死を司るPak Taoをお迎えする儀式があり、寺は賑わっていた。このお迎えは寺から少し離れたカトゥの役場広場で行われる。
行列の道すがらの家々には立派な祭壇をもつ家が多く、お迎えのときは各家も扉を開いてお迎えし、行列に向かって爆竹を投げる。カトゥのこのエリアは古い祭が多いため、昔ながらのキンジェーひ思いを馳せることができる。
下の写真はマーソンの行列の一番最後にいたふたり。男のマーソンがさあ、投げろと参道の家の人に言ったあと、闇の中で、すさまじい数の爆竹が彼らの足元で炸裂した。なんともおそろし~。
ちなみに下の写真の二人が爆竹の人。男性は素のときはなんか、オカマチックな人。なので衣装もピンクなのかもしれない。女性は一般参加という枠組み。そういう枠があるらしい。このオカマチックなマーソンにおりる神さまは世話好きなんだろうか。女性は寡黙だが、マーソンは明るく、おしゃべりもよくしていた。
お迎えに行っている間、ご飯を食べに。1時間弱で、次々とマーソンや神輿が戻ってきた。最後の九皇大帝のぼんぼりや神輿が戻ってくるときは、爆竹も半端なくなる。
戻ってくると、信者はマーソンのもとに集まり、ご利益を受けるよう。
カトゥの主神は芸能の神様のため、境内ではこんなショーも披露されていた。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA[/caption]
13日、深夜。いよいよベジタリアン・フェスティバルが始まった。昨年はタウンのバーンニャオで道教で最高位とされる玉皇大帝お迎えの儀式と祭りの主神、九皇大帝お迎えの儀式を見た。それは私にとって、とても神々しく、強烈な印象を強く抱かせたために、今年も多大な期待を持って祭りを迎えた。
今回はわが町カトゥのサンジャオ(中国寺)に。カトゥはプーケットのサンジャオの中でも一番古い歴史をもち、タウンのチュイトゥイが圧倒的な信者数とコマーシャリズムにのった感がある中で、オリジナルな祭りを継承する寺といわれている。
12日の夕方、玉皇大帝をお迎えするための竿が立てられる。空高くそびえる竿の先にランタンを吊り下げ、そこに降りてきていただく。その際にそばに作られた祭壇でお経が唱えられ、信者たちも座って、それに準じる。途中でムーンストーンと呼ばれる占いに使う石を2つ投げて、神様が降りてきたかを尋ねる。イエスがでると、黒い旗に隠されるように、玉皇大帝が神社内の玉皇大帝用の祭壇に運ばれる。あっさりと式は進んだ。
お経がしばらく唱えられ、式は終了。外は大雨になった。1時間ぐらいしただろうか。たぶん、1時近かった。一人のマーソンに神様が降り、玉皇大帝の祭壇前で小刻みに揺れていた。信者たちはしきりに携帯でマーソンを写真撮影。そばに座っていた、お祭り信仰係の人も、にわかにシャツを脱ぎ、よく心得ているという風にマーソンに変貌。そして、一団はまた外の祭壇に向かって行った。あまりの大雨のため、テントがおかれ、なんか必死に濡れまいという感じでテントにぎゅう詰め。あ~何気に覚えていないが、あっさりと九皇大帝も降りてきた。降りてくると、神社内の九皇室大帝の部屋の前でまた信者ともども、祈りが捧げられた。
昨年とはあまりに違う、淡々とした、シンプルな儀式にちょっと力が抜けた。友達は『これが本当だろう』と納得している様子。バンニャオは九皇大帝お迎えはサパンヒンに行く。九皇大帝は海からやってくると信じられているからだ。その際にはお神輿を担いで、爆竹で真っ赤に燃える門をくぐっていく。
カトゥも昔はサパンヒンと川で繋がっていたのだそうだ。しかし、土地は開発され、川の姿はない。かつてはサパンヒンまでお迎えに行っていたそうだが、距離的にも遠いため、いまは行かなくなったという。
なんでもオリジナルというのは、いたってシンプルなものかもしれない。と、スタートと同時にこんなはずではなかった感いっぱいの気分。しかし、こんなに遅い時間にお迎えの儀式をしていたのは、昔ながらなのかもとも。同じ祭りでも、サンジャオによって、やり方が違う。まだ先は長い!神秘を求めて祭りレポートやっていきます!